えいごリアン・コーナー

「英語は分からない」というつぶやき
  何しろ初めての英語、初めての「えいごリアン」ですので、子どもたちは不安だったのだ  と思います。途中までじっと見ていた男の子が、最後にいろいろな国の人々が登場する場面  に切り替わるときに、「英語分からないから、面白くない。」とつぶやきました。ところが、  その子、そう言い終わるやいなや画面に反応して、「え、チリじゃん。南米だよ。」「あ、  中国。えっと、China! China!」と嬉しそうに声を挙げ続けました。最後にイギリスが出て  きたところで、「イギリス?」と発言。画面から、"English" と聞こえてきたところで、一  瞬たじろぎ、「イギリ〜ス!」と英語風に発音して、実に楽しそうにしていたのです。表情  がくるくる変わるその様子からは、「分からないところがたくさんある」「いや、でも、分  かるところもあるぞ」と、心が揺れている様子が、手に取るように分かりました。はじめに、  その子が「分からないから面白くない」と言ったときは、正直、ドキッとしました。子ども  がそこで投げ出してしまったら、大変だぁ、と私は動揺していたのですが、不思議なことに、  えいごリアンは、分からないという子どもの不安を忘れさせてしまうようです。   子どもたちは、新しいことばに出会って、分からないことばかりなのは当たり前で、不安  でいっぱいだろうと思うのです。子どもの不安を和らげ、投げ出さず、前向きな気持ちにさ  せるために、つい日本語で説明してしまいたくなるのですが、えいごリアンのように、日本  語で説明せずに、子どもたちを分かった気にさせる方が良いような気がするのですが、そう  なのでしょうか。どうして、そうなのでしょうか。そして、そうするには、どうしたらいい  のでしょうか。 A: 子どもが、「分からない」といってくるとき、とても不思議な気持ちになります。なぜ   って、結構聞こえてくる英語には反応しているのに、「分かんない」と言ってくるからで   す。「そんなこと言うけど、さっきちゃんと答えていたじゃないの」と言い返すのも折角   の訴えを無碍に退けているようなので、「だんだん分かるようになるから大丈夫」と励ま   したり、そんな時間的なゆとりのない場合は「そぉ、あなたの気持ちは分かったわよ」と   いう目配せをします。でも、心の中は、「ほんとかなぁ」という気分です。甘えているん   じゃないかな、という気持ちもします。そして、いろいろな場合を考えます。    ・周囲の大人たちに、「英語やってるの、分かる?」と聞かれたことがある子どもかな。     ましてや、「英語って難かしいだろ。私も学校で習ったとき難しくて嫌いだった」な     どということばを聞いてしまった子どもは論外です。    ・また、こんなことも思い出しています。ある時のこと、新出単語、といっても決して     難しい単語ではない外来語として日常使っている単語なのですが、先生が「今日新し     く練習する難しい単語を練習しましょう。はい、Pineapple. Pineapple!」と子どもた     ちに繰り返させておられました。子どもが、「そうか、pineapple は難しいんだ」と     思ってしまうのではないかと心配でした。    どうやら、ご質問の子どもも、ちょっと「分かんない」と言ってみただけで、大して苦   にしていないようですね。「分かんない」といわれた途端に、指導者は、ギクリとして、   たじろいでしまいそうになりますが、考えてみれば、大人の私たちも日本語の話しを100%   分かって聞いているとは限りません。分かるところだけをつなげて安心して聞いています。    勿論「えいごリアン」は、この「分からないかもしれない」部分を映像で十分にサポー   トしていますから、大人が口出しをしなくても子どもたちは吸い寄せられるように画面に   没入していきます。映像の力はすごいな、これを教師が一人で教室で頑張っても無理だな、   と思わせられました。映像教材のありがたさを十分に活用するのがいいな、と「えいごリ   アン」を作りながら考え続けたことでもあります。            ※質問者: 相田眞喜子   ※回答者 久埜百合

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